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2010年8月

2010年8月31日 (火)

正義の名の下

原爆を投下することと、強制収容所で多くの人を毒ガスで殺すことでは、どちらの方が罪が重いか?と問われたなら・・・人によって答えはそれぞれだろうが僕なら同じくらいと答えるだろう。

どちらも、多くの罪の無い人を殺してることに変わりは無いのだから。

しかし同じ大量虐殺でも、原爆を投下したB29の機長が無罪なのに対し、強制収用所の所長は死刑(絞首刑)に処された。

この二人の罪の重さに差は無いとしたら、一体何がこの二者の運命を分けたのか?

それは、戦争に勝ったか負けたか、である。

もし日独伊が戦争に勝って、連合軍が負けていたなら、二人の運命はきっと逆だったことだろう。

正義とは、戦争に勝って初めて口に出来るもの・・・と言う言葉をいつか2ちゃんかなんかで見たけど、まさにそのとおりだと思う。

戦争に勝ちさえすれば、原爆投下も、毒ガスによる虐殺も「正しい」と言い張れるのだ。

で、現在のドイツはと言うと、大戦中に自国がしたことをきちんと後世に伝え、二度とこんなことを起こさないための努力をしている。

日本も、後世に伝える努力をしているとはとても言えないが、きちんと反省し、唯一の被爆国として、核兵器廃絶を訴えている。

で、アメリカでは未だに原爆投下は必要だった、正しかったと言う人は多い。

無差別に人を殺したことを「正しい」と言えることは・・・果たして幸せなことなのか?

戦争があった事が、まして戦争に負けたことが幸せなことだと言うつもりは無い。

けど、「原爆投下(無差別殺人)は正しかった」と言えてしまうアメリカ国民を見ていたら、第二次世界大戦は、勝つよりも負けたほうがよかったのかも知れない・・・

日本が戦争に勝っていたら、中国や朝鮮の人をずっと虐げ続けてただろうし・・・天皇陛下はずっと神様だったろうしな・・・

ドイツだって、戦争に勝っていたら未だにユダヤ人を差別し続けていただろうし・・・

なんか正義と言う言葉がとてつもなく恐ろしい言葉に思えてくる。

同じ大量虐殺者でも、勝てば英雄、負ければ戦犯・・・なんだからな・・・

正義の名の下であれば、罪の無い人の命を奪うことだって許されるんだからな。

さて、「人に飼われてない」犬や猫などの命を手当たり次第に奪うのは・・・「日本人の正義」によるものなのだろうか・・・

2010年8月30日 (月)

ナチと同じ

以前、宮崎の口蹄疫の事を日記に書いた時、刑と処分と言う言葉について書いた。

人間の場合、「処分」と言うのは一番重い場合でも懲戒解雇までで、「処分」の範囲であれば命をどうこうされることは無い。
しかし、動物を殺す場合には「(殺)処分」と言う言葉が使われる。
しかし、人間の場合は重大な犯罪を犯した人などの命を奪わなければならない場合には「(死)刑」と言う言葉が使われる。

どうして動物の命を奪う場合は処分で、人間の命を奪う場合には刑と言う言葉が使われるのか?

この疑問が、自分なりに解決した。
僕の見方が間違っていたのだ。

あくまで自分なりで、辞書で調べたわけではないのであってるかどうか怪しいが・・・

簡単に言えば処分と言うのは組織のモラルを守らせるためにするもので、刑と言うのは(犯罪などを犯した)個人を更生させるためにやるものなのだ。

会社の規則を破った人に対して、例えば減給処分を言い渡す理由として、その人に態度を改めて欲しいからと言う理由もあるかも知れないが、それよりも「見せしめ」の意味合いの方が大きい。

会社の規則を破った者を厳しい処分に処す事によって、他の社員達を引き締める・・・簡単に言えば処分と言うのは「よりよい組織を作るため」にするものだ。

それに対して、「刑」と言うのは、罪を犯したらこうなるんですよ~と言う「見せしめ」の意味合いもあるが、どちらかと言うと、罪を犯した人を更生させるため、その人によりよい人生を歩ませるためにするものだ。

「見せしめ」が目的なら、未成年でも名前をさらしたりするだろうし、少年院も必要無いことになる。
もしそうであるなら、みんな刑務所にぶちこめばいいわけだから。

で、更生する意思の無い人とか、もうどうにもならない人とかは「死刑」に処されるわけで・・・

と言うわけで、処分は組織のためにする事、刑は個人のためにする事、と言うのが今の僕の認識である。

で、動物の殺「処分」についてだが・・・

この理屈で行くと、動物たちを殺処分するのは、我々がよりよい暮らしをするためにされている事、と言う事になる。

宮崎の口蹄疫は、その病気にかかった牛や豚を殺した方が、失われる食糧がより少なくてすむから、
その方が人間にとって都合がいいから、である。

そこに牛や豚の都合は関係ない。あくまで人間の都合である。

と言うわけで、病気にかかった牛や豚を殺処分するのは、食料の損失を防ぐため、と言う大義名分がある。

では、犬や猫などいわゆる「捨て犬」や「捨て猫」の殺処分はどうかな?

我々がよりよく暮らしていくために、彼らの命を奪うことは果たして必要なのか?

野良犬に噛まれて怪我をする?飼い犬だって人をかみ殺しまっせ。

犬や猫が持ってる病気が人間にうつるから?じゃあそれ以外の動物はどうなんだよ。
それに、それが理由なら、伝染力の強い病気にかかった「人間」も殺処分しなきゃならなくなるだろうが。

まさか食べるため?食糧危機のことは言われているが、今のところ犬や猫を殺して食べなきゃならないほどではない。

年間に30万頭以上の犬や猫やウサギなどの動物が殺処分されてるってことは、この国には年間30万頭以上の動物を窒息死させるだけの能力を持ってる、それだけの施設がある、と言うことだ。

そして・・・その施設の運営と言うのは税金によってされている。

つまり・・・30万頭以上の動物達を殺処分することは、多くの人が必要としている、と言うことになる。

誰もその施設に対して何も言わないということはそういうことだ。

家畜を「処理」して食肉にするのはどうなんだ?と問われれば・・・

我々がよりよい栄養状態、より豊かな食生活・・・要するによりよい生活を送るためには必要なことであると、僕は思う。

でも、犬猫の殺処分は・・・

この国をよりよい国にするために本当に必要なのかどうか?大いに疑問に感じる。

こんなことを思うのは、第二次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスと言う人物の手記を読んだからだ。(まだ全部は読んでないけど)

彼らナチ党は、ドイツをよりよい国にするために、ユダヤ人をはじめ多くの人を毒ガスで「処理」した。

ユダヤ人を「処分」すればいい国になると言う考え方は、野良犬や野良猫を「処分」すればよりよい暮らしが出来るという考え方と同じではないのか?

大戦中のナチスと同じ・・・そう考えるとなんかショックである・・・

よりよい国を作るために、よりよい暮らしをおくるために命を奪う・・・

それが食べるためであれ、邪魔だからであれ、どういう理由であれ残酷なことには変わりない。

だからこそ、食べ物は大事にしなきゃならないし、動物と暮らしているのなら、その動物を愛してやらなければならない。

その覚悟が無いのに動物を飼い始めたなら、飼う方も飼われるほうも不幸になるだけだ。

ちなみに、この国の殺処分の方法と言うのは、箱の中に動物をいれ、中の酸素を抜くという方法だ。

死ぬ前には、文字通り死ぬほど苦しく、安楽死なのでは決して無い。

ナチスがユダヤ人を処理したときに使ったチクロンB(だったかな?)と言う青酸性(だったけか?)のガスは苦しまずに死ねたという。

牛は、電気ショックで一瞬であの世逝きらしい。

死のみを与えることと、苦しみと死の両方を与えるのは、後者の方が罪は重い。

だから、窒息と言う方法は非人道的な方法として世界中から白い目で見られてる方法である。

で、その死へのスイッチを入れるのは、動物が好きで好きでたまらない、獣医師の免許を持ってる方々である。

動物好きな人に動物を「処分」させている現実・・・重く受け止めなければなりませんな・・・

それにしても・・・アウシュビッツの本を読みながら殺処分のことが思い浮かぶとはな~・・・

僕は別に動物好きではない。
ただ・・・無意味な殺生に疑問を感じてるだけである・・・

2010年8月29日 (日)

ぴちぴちふわふわ

セクシーなのキュートなのどっちが好きなの?

どっちも好きなみつでございますが・・・

前から思ってることがあるのだが・・・

どーして・・・タイトなスカートにはセクシーなイメージがあって、フレアスカートには可愛いイメージがあるのだろうか?と・・・

柔らかなイメージ=可愛いと言うイメージがあるから?

でも・・・おっぱいは柔らかいけど、胸の大きな女性は可愛いっつーよりはセクシーなイメージではないか。

胸の開いた服なんか着てたら「おお☆」と思うしな♪

胸を責められて感じてる女の子は可愛いけど♪

それはさておき・・・

で、タイトスカートはと言うとボディラインをそのまま見せてるところにセクシーさを感じるのか?

いやいや、それならスクール水着はどうなる?あれだってボディラインがそのまま見えるけど、セクシーと言うよりは可愛いと言うイメージではないか・・・いやいや、決してロリコン趣味では無いが・・・

スクール水着に限らず、水着にも可愛いデザインのものもセクシーなデザインのものとかいろいろあるしな・・・

何が言いたいかと言うと、ボディラインをそのまま見せてるからセクシー、ふわふわしてるから可愛い、と単純には言えないということだ。

じゃあ結局ふわふわスカートの可愛さの理由と、ピチピチスカートのセクシーさの理由はどこにあるのか?

今のところの結論としては、そんなもん考えるだけ無駄!黙って美しい脚線美を見て楽しめばいい!と言うことだ。

最初に言ったようにセクシーなのもキュートなのもどっちも好きなのだからね♪

で、ショートパンツは?と言うと・・・

確かにヒップラインとかは見られる・・・けど、ピチピチスカートほどのセクシーさも無ければ、ふわふわスカートほどの可愛さも無い、その上パンチラも期待できない上にもちろんめくることも出来ない・・・と言うわけで、僕としてはあまり萌えない(笑)

デートするなら、どんなに短いショートパンツよりも、どんなに長くてもスカートで来てくれたほうが僕としては嬉しい♪

2010年8月28日 (土)

カーナビ

カーナビってのは非常に便利な機械だと思う。

音声にしたがって運転していれば行きたい場所に連れて行ってくれるのだから。

特に僕は方向音痴だからなあ↓

でも僕は、自分の車にカーナビをつけたことが無い。

余計な装備をつけることで車重が重くなって、走行性能が落ちるからだ。

シグナルGPで不利になるような事はしたくないからな~

・・・と言うのは冗談で・・・

本当の理由は、音声にしたがって車を運転するという行為が、僕にとっては非常にかっこ悪いことだからだ。

誰かの(この場合機械だが)指示に従いながら運転するのはただの「作業」であって、楽しみではない。

地図を見ながら迷いながら目的地まで行くのは・・・けっこう楽しい♪

それに、今まで目的地にたどり着けなかったことなんてほとんど無いしな。

大体、僕の場合、そんなにややこしい場所を目指して走る、なんて事ほとんど無いしな~

僕にとっての車と言うのは、移動するためのツールでももちろんあるんだけど、それよりも、日々を楽しむためのツールと言う色合いが強い。

効率的に目的地に着くことよりも、それまでの道のりを楽しむことが大事。

気分としては

一人旅なの私気ままにハンドル切るの♪

てな感じである。

車の運転する際に、気ままさと言うのは非常に大事な要素である。

カーナビに従いながら運転するのは、電車やバスに乗って連れて行ってもらってるのと大差無いように思う。

でも・・・僕がこんなことを言ってるのはほとんど田舎しか行かないからである(笑)

都会に頻繁に行くなら重宝するだろうな~~あれ・・・

そーいや、ダッシュボードの上にモニターつけてる人とかいるけど・・・見るほうからしたらすげー不安定そうに見える・・・

事故したら顔の方に飛んできそうで怖いし、何より視界が悪くなって運転しにくそうな気がする・・・ま、大きなお世話か。

余談だが、こないだ、ある方がイタリアに旅行に行って来たと言うので、お土産にチョコレートをいただいた。

ずっと冷蔵庫にあったのだが、ある日見るとチョコの箱が無くなってる???

母に聞いたところ

「もう全部食べたよ。」

などと抜かしやがった。

一つくらいとっといてやろうと言う優しさは無いのか!?

妻に詳しく話を聞くと、長男が勝手にいつの間にかぱくぱく食べてたらしい。

親なら止めろよ・・・

そーいや、母いわく、僕はかつては、ポテトチップスの袋を持ったら絶対に離さず、一枚たりとも人にわけてやらないような子どもだったらしい・・・

う~ん・・・この点が僕に似たのかなあ~・・・

2010年8月27日 (金)

余計な飾りは必要ない

昨日の日記で、日テレの番組について頑張りを伝えるのはいいけどそのやり方が気に入らないと語ったが・・・

ではどういう番組ならいいのか?と問われたなら、子ども達が頑張ってる姿を扱ったものであればNHKでやってるカラフル!とか、今やってるか知らないけど、みんないきている、などである。

これらの番組に出てくる子どもたちは、どこにでもいそうな子ども達である。

元気な子どもが主人公の場合もあれば、大人しい子どもが主人公の時もある。
病気や障害を抱えた子どもの頑張りを扱ったものもある。

障害のある子どもばかりを選んだりなんてもちろんしてない。

そして番組の内容と言うのは、子どもが何かやってる映像に、ナレーションが入るだけである。

人気のある芸能人が出てくる事も無いし、演出も無い。

だから、その子ども達の頑張りがストレートに伝わって来る。

人が頑張ってる姿を伝えるには、頑張ってる姿と質のいいナレーション、これだけあれば充分だ。

騒がしい芸能人やくだらない演出、まして手助けまがいの事など無用である。
逆にそういうのがあると見ている方としては興ざめである。

本当に人の心を打つ自信、感動してもらえる自信があるならであるならば、余計な味付けなどしないはずだ。

普段からカラフル!とか、ドキュメント物とか見ている者の一人からしたら、24時間テレビはくだらない演出ばかりが目立って、何を見せたいのか?伝えたいのかがさっぱりわからない。

更に言えば、夏のこの時期にだけ例のTシャツを着て頑張られても、ただのミーハーにしか見えない。

障害を持たれてる方、その方を支えられてる人それこそ24時間、一年中その障害と付き合って生きているのだから・・・

一年のうちにたった二日間だけ障害者の人たちのために頑張ってますよ~と言う顔をされてもなあ・・・

24時間テレビの一番気に入らない点は、障害者のためを思って作られてる番組の筆頭に挙げる人が多い、と言うことだ。

あんなくだらない番組でも、大きな施設を借り切ったり、人気の芸能人を起用したりして飾り立てれば、素晴らしいものに見えてしまうものなのだろうか?

ま~多くの人は、一般の人が頑張ってる姿よりも、芸能人が涙する姿を見て喜んでるんじゃないかな~・・・憶測だけど・・・

24時間マラソンにしてもなんにしても、あの番組は、芸能人や、日テレの好感度を上げるためのものにしか見えない。

「障害を持った子どもが頑張ってる姿」ばかりを扱いたがる24時間テレビと、「子どもが頑張ってる姿」をそのまま伝えているカラフル!・・・比べること自体が愚かだな・・・

2010年8月26日 (木)

親切にするということ

親切と言うのは、困ってる人がいたら手を貸してあげることであり、見返りを求めない、と言うのが基本である。

見返りを求めた時点で、それはもはや「親切」では無く、「善意の押し売り」である。

時々、僕の周りで、車がすれ違えない狭い道などで、ちょっと路肩の広いところなどで止まって待ってあげた時に、挨拶も無しに通り過ぎる人に「挨拶も出来んのか!?」と腹を立てる人がいるが、これは「親切」とは言わない。

お礼を言われようと言われまいと自分が困っている人に手を貸すこと自体に喜びを感じることが出来る事、もっと大げさに言えば、困っている人に手を貸してあげられるだけの「余裕」が、今の自分にあることをありがたいと思えることこそが本当の親切であり、お礼や見返りをしてもらえることに期待してやるのは本当の親切ではない。

それと、親切と言うのは相手のことを対等に見なければならない。

相手を同じ人間として認めたうえで手を貸すことが本当の親切である。

例えば、障害者だからと言って特別扱いするのは親切などでは決して無い。

さらに・・・必要以上の施しも、親切とは言わない。

あなたは障害者なんだから、憧れのスポーツ選手に会わせてあげますよ・・・つーのも親切では無い。

オムニバスドラマ、「鉄道むすめ」にこんなシーンがある。

ある病をかかえた少年がいた。

その少年の夢は、電車の運転手になることだった。

その少年はこれから大きな手術を受けなければならなかったのだが、それが嫌で家出してしまう。

で、この物語の主人公である女性駅員が見つけ出す・・・そして

「電車を運転させてくれたら、手術を受ける」と言う・・・

電車の運転手になると言う夢・・・病気と言う大きな障害・・・そのことを思うと、この駅員さんはなんとかしてあげたいと思って、先輩に相談する。

その先輩の答えは・・・

「お前、本当にそれでいいと思ってるのか?もし仮に、その子に電車を運転させてあげることが出来たとしても、そんなのお前が気持ちいいだけだ。」

病気を持ってるからと言う「理由」で、その子に電車を運転させてあげたとしたら、その子の夢はそこで終わってしまう。

そうじゃなくて、電車の運転をしたいのなら、努力して勉強して、運転手にならなければいけないこと、そのためには手術を受けて、病気を克服すること、そのことをその子に伝えることが、本当にその子のためになることなんじゃないのか?

というものだった。

人の笑顔を見るのは確かに気持ちのいいことだ。

でも、施した者が気持ちいいだけの施しは、ただの自己満足に過ぎない。

本当に相手にとってためになることとは何か?を考え、実行するのが本当の親切である。

24時間テレビが、障害者のためになってない・・・と言うつもりは無い。

憧れのスポーツ選手やタレントと会えて、それを胸に強く前に歩き出せる子もそりゃいるだろう。

でも・・・そのスポーツ選手やタレントと会ってみたい!と思う人は数多くいる。

じゃあどうして、その子たち「だけ」が、彼らと触れ合うことが出来るのか?

その理由の一つに「障害があるから」と言うのがあるのであれば、それはやはり親切では無いと思う。

まとめとすると、24時間テレビが障害者のためになっているかどうかは置いといて、親切の・・・言い換えればチャリティの要素はかなり希薄だと思う。

ギャラと言う「見返り」、「障害者だから」と言う特別扱い、あまりにも過剰な施し・・・

そんなに嫌なら見なきゃいい、と言われそうだが、街に出て買い物なんかに行くとかなりの確率であの黄色のTシャツを持った連中を見かけるのでイライラするのだ・・・ただでさえ暑いのに・・・

だからこうして日記で毒を吐いてみました。

それにしても、日テレっつーのは、見た目同情を買えそうなものはなんでも大げさにはやし立てるよな・・・

「はじめてのお使い」では、まだ一人で電車やバスに乗れる年齢に達してない子を一人で電車やバスに乗せたり、「志村動物園」では、電車には動物を連れては乗れないのに、ダイゴが子猿を連れて電車に乗ってたり・・・組織の大きさを使ってそういうことをするのは、はっきり言っていやらしい。

あんな小さな子ども電車に乗ってお使いに行く姿を見せればより感動的に見えるだろうし、子猿にしてもまた同様・・・か・・・

で、24時間テレビでは、障害を持ってる人たちをやたらもてはやすと・・・

可愛い姿、頑張ってる姿を放映することが悪いことだと言うつもりは毛頭ない。

ただ、やり方が気に入らない。

2010年8月25日 (水)

今年の笠岡は・・・

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あまりいい写真撮れなかった↓
また来年頑張ろう☆

ちなみに、フィルムカメラで撮った写真を、携帯電話で撮った画像なのであまり綺麗じゃありません(苦笑)

2010年8月24日 (火)

当たり前だけど・・・可愛い♪

最近・・・て言うかけっこう前からだが・・・次男(3ヶ月)が笑うようになった☆

当たり前といわれりゃそれまでだけど、赤ちゃんの笑顔って可愛い♪

ま、僕が抱いたら急に不機嫌になるわけだけど・・・一体なぜ!?

妻からは「抱き方がへたくそ」言われるが・・・

それはさておき、時々テレビで、「虐待をなくすには?」みたいな話題で会談したりしてるけど・・・

虐待をなくすため「だけ」のための対策なんてそこまで効果があるのか?と思う・・・

別にこの問題に詳しいこともなんとも無い僕が語るのもなんだけど・・(笑)

そもそも、虐待の一つの原因として、「人に頼ることはみっともないこと、恥ずかしいこと」と思ってしまってるところにあるのではないだろうか・・・

人に頼って迷惑をかけて恥ずかしい思いをするくらいならいっその事・・・と思ってしまう場合もあると思う・・・

それと、もう一つの価値観として失敗することは恥ずかしいこと、と多くの人が思っている、ということだ。

人の躓きを見て、安心感を得る人も多い。

僕の同級で、高校受験に失敗して、次の年で高校に入った人がいたけど、周りの人は面白半分に、見下したような感じでとやかく言ってたもんな~・・・

大学を浪人する人は多いけど、高校を浪人する人はそんなにはいないからだろうけど・・・

そんなわけで、人の失敗を見て、人が苦しんでる姿を「自分はあいつよりマシだ」と思う人は本当に多い。

多くの人は幸せな人の顔を見るより、不幸な人の顔を見るのが好きなのだ。

だからワイドショーでは「その手」の話題が必要以上に取り上げられたりするのだと思うしな・・・

人の失敗が好きな人、人の陰口を叩くのが好きな人、自分と違う価値観の人は受け入れられない人・・・そんな人が多い中で、自分の心の内を打ち明けられる人を探し出すのは至難の業だ。

それに・・・

昔は、遊びと言えばみんなで鬼ごっことかかくれんぼとかだった。
でも今は幼いうちから一人一台DSを持ってる。

昔はテレビなんか無かったから、皆で紙芝居屋さんの紙芝居を見ていた。
でも今は一部屋に一台テレビがある。

昔は移動といえば徒歩か自転車で、お互いに挨拶を交わしたりしてた。
でも今は車と言う鉄の箱で移動している。

世の中が便利になればなるほど、皆で一つのものを楽しむという機会が減っているように思う。

で、そんな風に一人で生きているような顔して、周りの人がどのような生活をしているのかが気になって仕方が無い・・・そんな人が多い世の中で、子どもを育てていくのは・・・並大抵のことではない気がする。

相談所とかを増やしたり、近所の人が連絡しやすいような環境を作ることに効果は無いとは言わないけど、それだけでは根本的な解決にはなるまい。

ごく当たり前の結論だけど、人と人、お互いとお互いが信頼しあえる世の中にすることが必要だと思う。

虐待をなくすための対策ではなく、人と人との繋がりを強めるための施しをするべき・・・僕はそう思う。

ま、それが難しいから、出来ないから、少しでも出来そうな「虐待をなくすため」の対策ってことになっちゃうんだろうね~

そりゃそうだよな~・・・世の中「シングルマザー」ってだけで白い目で見るような人もけっこういるから・・・団塊の世代以上の人の中には特に・・・あくまで僕の周りでの話だけど。

2010年8月23日 (月)

挨拶は大事

何を今更と言うタイトルですが・・・

オタクが好きか嫌いかと言うのは人それぞれだろうが・・・

オタクの中にも常識のある人と無い人がいる。

昨日の日記で、カーマニアに嫌な思いをさせられたと書いたが・・・

昨日の笠岡ふれあい空港はたくさんの人で、滑走路に一番近い席はほぼ満席だった。

なのに奴らは四人組で現れ、狭い中に無理矢理四人並んだ。
そのうちの一人が僕が敷いていたレジャーシートを踏んだので注意したら逆ギレして文句を言って来た。

しまいには譲り合いの精神を持てとか言いやがった。
ここで「ここ入ってもいいですか?」の一言があれば、快く「どうぞ」と言っているところだが、何の挨拶もなしに土足で上がり込まれたりしたら譲ってやろうなんて気がおきるわけが無い。

そんなに見たいなら、譲ってもらえることを期待するような甘えた考えは捨てて、朝一に来て場所を取るくらいしろ。

てか、二人二人に分かれるとかなんとかすれば普通に入れるところあるだろうに・・・

まあ、これはまだ可愛い方で、自衛隊の航空祭などに来る人たちの中にはもっとマナーの悪い人がたくさんいて、一部の席が有料になったり、脚立の持ち込みが禁止になったりしたところもあるそうだ。

そーいや鉄道マニアにもマナーの悪いのは多いらしいなあ・・・

僕がいつも車の面倒見てもらってる整備士のお兄さん(この人とはいろいろ馬が合う)は、サーキットにレースを見に行って、レーシングカーの写真を撮るために列にならんでいたら順番のろくに守れない奴が中にいてキレそうになったらしい。

こういう自分の事しか考えられない人の話を聞くと、オタクが白い目で見られるのも仕方が無い気がする。

バイクがホントに好きな人が、暴走族と同じに見られたくないように、一人のオタク(と呼ばれたことのある者)として、こういう挨拶も出来ない奴、マナーもろくに守れない奴と一緒に見られたくはない。

まーオタクじゃなくても、挨拶一つ出来ない人にはろくな人間はいないよな~

そして・・・そのろくに挨拶も出来ないような連中ばかりが集まって行動するから余計タチが悪い・・・

そんなわけで・・・挨拶と言うのは改めて大事だな・・・と思った。

で、僕らのレジャーシートの後に小さなお子さんを連れた家族連れが座っていたので、

「おい、僕、よかったらここ座るか?」と言って座らせてあげたら、後でお母さんに「そこまで言わなくても」と言うくらいのお礼を言っていただいた。

ありがとうを言われるのは実に気持ちがいい。

マナーをきちんと守ってる人には出来るだけのことはしてあげたいな、と思う。

そーいや、過去にも笠岡で割り込まれたことがあった。このときも何の挨拶も無く・・・

このときはオタクではなく、「知的障害」のある娘を持った母親である。

この子は障害があるんだから、割り込ませてもらって当たり前、くらいに思っていたのだろう。

ま~割り込まれたのが飛行機による風船割のときだったから何も言わなかったけど、これがアクロバットの演技中だったら間違いなくキレてた。

障害があるんだから優遇されて当たり前・・・僕はこういう考え方が大っ嫌いである。

障害があろうとなかろうとそんなこと関係あるか!迷惑なことは誰がやっても迷惑なんだよ。

知的障害だろうと、車椅子生活している人であろうと、イベントの場所取りにそんなことは関係ない。

さっきも言ったけど、そんなに前で見たいなら早く来て場所を取ればよいのだ。
早起きするのに障害もへったくれも関係ないだろ。

それに・・・障害があることを理由に割り込みが許される、と言う考え方は、自分で自分の子どもを差別しているのと同じではないか。

後からきたのであれば、見にくいところでも我慢させる・・・それが親のすべきことではないのか?

「障害者だからいいだろう」といって割り込んで、一番惨めな思いをするのは、自分の子どもではないだろうか?

知的障害だから順番守れません、マナー守れません・・・親の方がそう決め付けてどうする・・・

自分の子どもを特別扱いして甘やかして・・・そんなことをしてたらその子のためにならないだろうに・・・

障害者が差別される原因の一つに、「障害」に甘えている親の存在、と言うのもあるのかも知れない。

差別されるほうが悪い、と言うつもりはないけど、差別されるほうにもそれなりの原因があるのではないか?

まして挨拶も出来ない上にマナーも守れないのであればね~・・・

親切にしてあげたい人もいれば、親切にしてあげたくない人もいる・・・親切にしてあげたいな~と思われる人になりたいのなら、それなりの態度で人に接しないとな・・・

その第一歩があいさつだと僕は思う。

2010年8月22日 (日)

夢のある機械

今日は一日笠岡のふれあい空港にいた。

一日暑い中・・・エンジンの音ばかり聞いてたな~

飛行機、ヘリ、バイク、車、ラジコン・・・星型とか水平対向とかV12とか、エキストラとかワコーとかエアロスバルとかOH-6とか防災ヘリとか救助ヘリとかハーレーとかフェラーリFXXとか430ルマンとか・・・

中でも圧巻だったのは、やはりと言うかレッドブルにも参戦している室屋パイロット駆るエキストラのアクロバットだ。

まあ、これは文章には書き表せないので省略。

で、二番目にすげー!と思ったのは、エクストリームバイクの木下真輔選手の演技だ。

エクストリームバイクは初めて見たが、いや~本当にすごい演技だった・・・これも文章には書き表せないので省略。

今日一日を通して思ったのは、改めて、エンジンと言うのは、夢のある機械だな~と言うことだ。

大人も子どもも、エキストラやフェラーリFXXを見つめる人たちの目はとても輝いてた。

ま、一部すげー感じ悪いカーマニアもいたけど・・・それはさておき・・・

しびれるようなエンジンのサウンド、圧倒的なパワー、そしてそれを見事に制御してみせる室屋選手や木下選手・・・

僕も今日一日は大空に憧れる少年のような気持ちだった。

今まで見てきた中で一番かっこいいと思ったものは?と聞かれたら、迷わず自分の顔☆・・・ではなく室谷選手の駆るエキストラ、と答えるだろう。

フェラーリFXXや430ル・マンとかも走ってたけど、ただ滑走路を往復してるだけでは・・・あまりかっこいいとは・・・

僕はメカオンチであるが、エンジンと言う機械に興味があって、知りたいと思うのは、これだけの夢を多くの人に与えてるからなんだろうな・・・多分・・・

写真も撮ったがうまく撮れてるか撮れてないかなんてもうどうでもよくなった。

ナマであれを見れた事で胸いっぱいである☆

で、そのフェラーリなんだけど、まだラジコン飛行機がフライトしてるのにも関わらず滑走路を走ったりとか、いろいろ段取りが違うことをやってた。

それを見せてくれるのはいいけど、段取りはきちんと守って欲しいと思った。
あれはちょっと感じ悪かったな~☆

それにしても・・・エキストラにせよピッツにせよ、飛行機のエンジン音と言うのは、いつ聞いてもしびれるな~☆

・・・僕のF20Cエンジンの音もしびれるけど☆

また来年も行こう↑