以前、宮崎の口蹄疫の事を日記に書いた時、刑と処分と言う言葉について書いた。
人間の場合、「処分」と言うのは一番重い場合でも懲戒解雇までで、「処分」の範囲であれば命をどうこうされることは無い。
しかし、動物を殺す場合には「(殺)処分」と言う言葉が使われる。
しかし、人間の場合は重大な犯罪を犯した人などの命を奪わなければならない場合には「(死)刑」と言う言葉が使われる。
どうして動物の命を奪う場合は処分で、人間の命を奪う場合には刑と言う言葉が使われるのか?
この疑問が、自分なりに解決した。
僕の見方が間違っていたのだ。
あくまで自分なりで、辞書で調べたわけではないのであってるかどうか怪しいが・・・
簡単に言えば処分と言うのは組織のモラルを守らせるためにするもので、刑と言うのは(犯罪などを犯した)個人を更生させるためにやるものなのだ。
会社の規則を破った人に対して、例えば減給処分を言い渡す理由として、その人に態度を改めて欲しいからと言う理由もあるかも知れないが、それよりも「見せしめ」の意味合いの方が大きい。
会社の規則を破った者を厳しい処分に処す事によって、他の社員達を引き締める・・・簡単に言えば処分と言うのは「よりよい組織を作るため」にするものだ。
それに対して、「刑」と言うのは、罪を犯したらこうなるんですよ~と言う「見せしめ」の意味合いもあるが、どちらかと言うと、罪を犯した人を更生させるため、その人によりよい人生を歩ませるためにするものだ。
「見せしめ」が目的なら、未成年でも名前をさらしたりするだろうし、少年院も必要無いことになる。
もしそうであるなら、みんな刑務所にぶちこめばいいわけだから。
で、更生する意思の無い人とか、もうどうにもならない人とかは「死刑」に処されるわけで・・・
と言うわけで、処分は組織のためにする事、刑は個人のためにする事、と言うのが今の僕の認識である。
で、動物の殺「処分」についてだが・・・
この理屈で行くと、動物たちを殺処分するのは、我々がよりよい暮らしをするためにされている事、と言う事になる。
宮崎の口蹄疫は、その病気にかかった牛や豚を殺した方が、失われる食糧がより少なくてすむから、
その方が人間にとって都合がいいから、である。
そこに牛や豚の都合は関係ない。あくまで人間の都合である。
と言うわけで、病気にかかった牛や豚を殺処分するのは、食料の損失を防ぐため、と言う大義名分がある。
では、犬や猫などいわゆる「捨て犬」や「捨て猫」の殺処分はどうかな?
我々がよりよく暮らしていくために、彼らの命を奪うことは果たして必要なのか?
野良犬に噛まれて怪我をする?飼い犬だって人をかみ殺しまっせ。
犬や猫が持ってる病気が人間にうつるから?じゃあそれ以外の動物はどうなんだよ。
それに、それが理由なら、伝染力の強い病気にかかった「人間」も殺処分しなきゃならなくなるだろうが。
まさか食べるため?食糧危機のことは言われているが、今のところ犬や猫を殺して食べなきゃならないほどではない。
年間に30万頭以上の犬や猫やウサギなどの動物が殺処分されてるってことは、この国には年間30万頭以上の動物を窒息死させるだけの能力を持ってる、それだけの施設がある、と言うことだ。
そして・・・その施設の運営と言うのは税金によってされている。
つまり・・・30万頭以上の動物達を殺処分することは、多くの人が必要としている、と言うことになる。
誰もその施設に対して何も言わないということはそういうことだ。
家畜を「処理」して食肉にするのはどうなんだ?と問われれば・・・
我々がよりよい栄養状態、より豊かな食生活・・・要するによりよい生活を送るためには必要なことであると、僕は思う。
でも、犬猫の殺処分は・・・
この国をよりよい国にするために本当に必要なのかどうか?大いに疑問に感じる。
こんなことを思うのは、第二次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスと言う人物の手記を読んだからだ。(まだ全部は読んでないけど)
彼らナチ党は、ドイツをよりよい国にするために、ユダヤ人をはじめ多くの人を毒ガスで「処理」した。
ユダヤ人を「処分」すればいい国になると言う考え方は、野良犬や野良猫を「処分」すればよりよい暮らしが出来るという考え方と同じではないのか?
大戦中のナチスと同じ・・・そう考えるとなんかショックである・・・
よりよい国を作るために、よりよい暮らしをおくるために命を奪う・・・
それが食べるためであれ、邪魔だからであれ、どういう理由であれ残酷なことには変わりない。
だからこそ、食べ物は大事にしなきゃならないし、動物と暮らしているのなら、その動物を愛してやらなければならない。
その覚悟が無いのに動物を飼い始めたなら、飼う方も飼われるほうも不幸になるだけだ。
ちなみに、この国の殺処分の方法と言うのは、箱の中に動物をいれ、中の酸素を抜くという方法だ。
死ぬ前には、文字通り死ぬほど苦しく、安楽死なのでは決して無い。
ナチスがユダヤ人を処理したときに使ったチクロンB(だったかな?)と言う青酸性(だったけか?)のガスは苦しまずに死ねたという。
牛は、電気ショックで一瞬であの世逝きらしい。
死のみを与えることと、苦しみと死の両方を与えるのは、後者の方が罪は重い。
だから、窒息と言う方法は非人道的な方法として世界中から白い目で見られてる方法である。
で、その死へのスイッチを入れるのは、動物が好きで好きでたまらない、獣医師の免許を持ってる方々である。
動物好きな人に動物を「処分」させている現実・・・重く受け止めなければなりませんな・・・
それにしても・・・アウシュビッツの本を読みながら殺処分のことが思い浮かぶとはな~・・・
僕は別に動物好きではない。
ただ・・・無意味な殺生に疑問を感じてるだけである・・・