鮭のルビー
ふと思い出した事がある。
自分がどうして「命」について考えるようになったのか?そのきっかけについてだ。
一つは、時々日記にも書いているが「はだしのゲン」もう一つは・・・その本のタイトルは忘れたが、「鮭のルビー」の物語だ。
ルビーと名付けられた鮭が、卵から産まれ出て川をくだり海へ出て、大人になって産まれ故郷の川に帰って卵を産んで力尽きるまでの物語なのだが・・・
その間、様々な苦難が待ち受ける。
その苦難は卵の時から始まる。
お母さんは命がけでたくさんの卵を産むのだが、その全部が無事にかえるわけではない。
正確な数は忘れたが、けっこうたくさんの数が卵から産まれる前に食べられてしまう。
そして産まれたばかりの稚魚もまたその多くは食べられてしまう。
川を下る途中も鳥とかなんとかに食べられ、無事に海へと出られる者は多く無い。
そして、産卵の為に故郷の川に帰る時も、流れの早い川を上りきれずに力尽きる者、クマとか人間に捕まえられてしまう者などがいて、最初産まれた卵の数に比べたら、故郷の川までたどり着けるのはホンのわずかだ。
そして鮭達は最後の力を振り絞り、川底の石を尾で跳ね除けるなどして、そこに卵を産み落とすのだ。
卵を産んだ後、鮭は力尽きる。
その骸は、他の生き物に食べられたり、もしくは自分の子ども達に食べられて、命をつなぐ糧となるのだ。
と言うような物語だったと思うが・・・
多分・・・一番最初に命の大切さと言うのを意識し始めたのはこの本を読んだくらいからだと思う。(はだしのゲンを読んだのはある程度大きくなってからだし・・・)
普通に食卓に並ぶ魚は、こんな風にして大人になっているんだな、それを、自分達はいただいてるんだな、と言う思いから、食べ物を大切にするようになったと思う。
だから僕は、出された物は残さず食べるように心がけるようになった。
それは今でもだ。
でも、それが原因でバカにされることもある。
会社の人たちとの飲みの席とかで、あまりおいしくなくて皆が手をつけないようなものでも僕がたいらげるからだ。もちろん限度はあるが、居酒屋とかなら大体全部食べられる。
どんなまずいものでも食べてしまう、味のわからない奴、そう思われていたりもする。
僕だって、好きなものがあれば嫌いなものもあるし、おいしいと感じるものもあれば、まずいと感じるものもある。
でも、それよりも、自分の目の前にある料理が、どういう過程を経てこのテーブルの上に並んでいるのか?
それを考えると・・・とても粗末には出来ないのだ。
味オンチと言いたきゃ言えばいい。
おいしいかまずいかよりも大切なことがある。
僕はただ、そのことに気付いてるだけなのだからね。
そのことに気付けない人に、何を説いてもムダである。
それとは別の話で、「あそこのラーメンをうまいと感じるならどこのを食べても大丈夫じゃね?」
なんてことを言われたことがあるが・・・
僕がおいしいと感じたラーメンをまずいと感じるのはそりゃ勝手だ。
人には好みと言うものがあるのだから。
でもね・・・
その言い方はどうなんよ?
自分がおいしいと感じられなかったものは認めない、もしくは、自分の味覚が正しくて、お前の味覚は正しくないとでも言いたげなこの言い方は相当不愉快だった・・・言った本人に悪気は無いんだろうけど。
それ以来、自分のお勧めの店をこいつに紹介するのはやめたのであった。
話が逸れたが・・・
卵からかえることなく食べられてしまう卵に、生まれてきた意味なんてあるのか?
と言うことを考えたとき、「そいつらがいたから、その兄弟姉妹が食べられずに済むんじゃないか」と言う答えもあるだろう。
でも・・・母親は多分そんなつもりでたくさんの卵を産んでないはずだ。
全ての卵に、無事にかえって、大人になってこの川に帰ってきて欲しい・・・そういう思いで命懸けで卵を産んでいるはずだ。
犠牲になってもいい卵なんて、ひとつとして無いはずだ。
卵であろうと稚魚であろうと成魚であろうと、ひとつの命に変わりは無い。
稚魚が食べられるのは可哀想で、卵が食べられるのは可哀想なんて事は決して無い。
そう・・・「妊娠数週間のそれ」と言うタイトルの日記を書いてたとき、どうもそのことがひっかかったのだ。
妊娠して間の無い胎児は命では無いという考え方は、鮭が命懸けで産み落とした卵は命では無いと言ってるのと同じではないか。
鮭が卵を産むのが命懸けなら、妊娠してお腹の中で子どもを育むのも命懸けだ。
たった数週間でも、命懸けで育てた命は尊いものなのだ・・・とこの話を思い出して改めて思った。
で、卵のまま、もしくは、母親のお腹の中で亡くなってしまう命が存在する意味とは???
う~~ん・・・ある程度形は見えてきてるんだけど、まだきちんとは見えてきてないんだよな・・・
てか、見えてきても多分ブログとかで語ることは無い。・・・それは自分の胸のウチにそっとしまっておくべきもの、語るとしたら、自分にとって本当に大切な人たちにのみ・・・かな・・・