出産・子育て Feed

2010年9月15日 (水)

鮭のルビー

ふと思い出した事がある。

自分がどうして「命」について考えるようになったのか?そのきっかけについてだ。

一つは、時々日記にも書いているが「はだしのゲン」もう一つは・・・その本のタイトルは忘れたが、「鮭のルビー」の物語だ。

ルビーと名付けられた鮭が、卵から産まれ出て川をくだり海へ出て、大人になって産まれ故郷の川に帰って卵を産んで力尽きるまでの物語なのだが・・・

その間、様々な苦難が待ち受ける。

その苦難は卵の時から始まる。

お母さんは命がけでたくさんの卵を産むのだが、その全部が無事にかえるわけではない。

正確な数は忘れたが、けっこうたくさんの数が卵から産まれる前に食べられてしまう。

そして産まれたばかりの稚魚もまたその多くは食べられてしまう。

川を下る途中も鳥とかなんとかに食べられ、無事に海へと出られる者は多く無い。

そして、産卵の為に故郷の川に帰る時も、流れの早い川を上りきれずに力尽きる者、クマとか人間に捕まえられてしまう者などがいて、最初産まれた卵の数に比べたら、故郷の川までたどり着けるのはホンのわずかだ。

そして鮭達は最後の力を振り絞り、川底の石を尾で跳ね除けるなどして、そこに卵を産み落とすのだ。

卵を産んだ後、鮭は力尽きる。

その骸は、他の生き物に食べられたり、もしくは自分の子ども達に食べられて、命をつなぐ糧となるのだ。

と言うような物語だったと思うが・・・

多分・・・一番最初に命の大切さと言うのを意識し始めたのはこの本を読んだくらいからだと思う。(はだしのゲンを読んだのはある程度大きくなってからだし・・・)

普通に食卓に並ぶ魚は、こんな風にして大人になっているんだな、それを、自分達はいただいてるんだな、と言う思いから、食べ物を大切にするようになったと思う。

だから僕は、出された物は残さず食べるように心がけるようになった。

それは今でもだ。

でも、それが原因でバカにされることもある。

会社の人たちとの飲みの席とかで、あまりおいしくなくて皆が手をつけないようなものでも僕がたいらげるからだ。もちろん限度はあるが、居酒屋とかなら大体全部食べられる。

どんなまずいものでも食べてしまう、味のわからない奴、そう思われていたりもする。

僕だって、好きなものがあれば嫌いなものもあるし、おいしいと感じるものもあれば、まずいと感じるものもある。

でも、それよりも、自分の目の前にある料理が、どういう過程を経てこのテーブルの上に並んでいるのか?
それを考えると・・・とても粗末には出来ないのだ。

味オンチと言いたきゃ言えばいい。
おいしいかまずいかよりも大切なことがある。
僕はただ、そのことに気付いてるだけなのだからね。

そのことに気付けない人に、何を説いてもムダである。

それとは別の話で、「あそこのラーメンをうまいと感じるならどこのを食べても大丈夫じゃね?」
なんてことを言われたことがあるが・・・

僕がおいしいと感じたラーメンをまずいと感じるのはそりゃ勝手だ。
人には好みと言うものがあるのだから。

でもね・・・
その言い方はどうなんよ?

自分がおいしいと感じられなかったものは認めない、もしくは、自分の味覚が正しくて、お前の味覚は正しくないとでも言いたげなこの言い方は相当不愉快だった・・・言った本人に悪気は無いんだろうけど。

それ以来、自分のお勧めの店をこいつに紹介するのはやめたのであった。

話が逸れたが・・・

卵からかえることなく食べられてしまう卵に、生まれてきた意味なんてあるのか?
と言うことを考えたとき、「そいつらがいたから、その兄弟姉妹が食べられずに済むんじゃないか」と言う答えもあるだろう。

でも・・・母親は多分そんなつもりでたくさんの卵を産んでないはずだ。

全ての卵に、無事にかえって、大人になってこの川に帰ってきて欲しい・・・そういう思いで命懸けで卵を産んでいるはずだ。

犠牲になってもいい卵なんて、ひとつとして無いはずだ。

卵であろうと稚魚であろうと成魚であろうと、ひとつの命に変わりは無い。

稚魚が食べられるのは可哀想で、卵が食べられるのは可哀想なんて事は決して無い。

そう・・・「妊娠数週間のそれ」と言うタイトルの日記を書いてたとき、どうもそのことがひっかかったのだ。

妊娠して間の無い胎児は命では無いという考え方は、鮭が命懸けで産み落とした卵は命では無いと言ってるのと同じではないか。

鮭が卵を産むのが命懸けなら、妊娠してお腹の中で子どもを育むのも命懸けだ。

たった数週間でも、命懸けで育てた命は尊いものなのだ・・・とこの話を思い出して改めて思った。

で、卵のまま、もしくは、母親のお腹の中で亡くなってしまう命が存在する意味とは???

う~~ん・・・ある程度形は見えてきてるんだけど、まだきちんとは見えてきてないんだよな・・・

てか、見えてきても多分ブログとかで語ることは無い。・・・それは自分の胸のウチにそっとしまっておくべきもの、語るとしたら、自分にとって本当に大切な人たちにのみ・・・かな・・・

2010年9月12日 (日)

妊娠数週間の「それ」

しつこくふるさと発について書いてるが・・・

ま、昨日に引き続き番組見感想をだらだら書いただけなので読むなら暇な人だけにしてください(笑)

これ昨日書こうと思ってやめたネタなんだが・・・

昨日ふるさと発の再放送見ていてなんとな~く気が変わった(笑)

その、不育症の話の中で、ある夫婦のあるエピソードが紹介されていた。

ご主人は、奥さんを元気付けようとして、奥さんが流産をするたびにある言葉をかけていた。

流産を四回繰り返してしまった時、ついに奥さんはその言葉に怒って自分の思いを爆発させる。

そのことによって、二人で命の大切さについて考えるようになり、二人共に理解しあえて、子どもも無事出産できてめでたしめでたしという話なのだが・・・

その、奥さんのお怒りを買った言葉と言うのは

「また産めばいいよ」

と言う言葉だった。

時間的制約もあったと思うだろうから、番組の中ではあんまりこの言葉について深くは突っ込まれてなかったが・・・

昨日、妻がもし流産を繰り返していたなら、僕でもなんて言葉をかけていいのかわからない、と語った。

その僕でも・・・あんまりな言い方だと思った・・・ま~だから番組で紹介したんだろうけど。

多分、旦那さんの感覚としては、流産すると言うのは、例えば試合に負けた人に対して「また次、頑張ればいいよ。」と言う風な意味でかけた言葉だと思うんだよね・・・

でも、番組内でその奥さんもおっしゃられてたように、流産すると言うことは、「命」が一つ失われると言うことなんだよね。

出産する側の奥さんには「次」の出産の機会があるけど、流産してしまった子どもは、二度と息を吹き返すことは無い・・・

この旦那さんは、なんていうのか、自分の奥さんが母親になると言う自分の「夢」をかなえることが出来なかったから悲しんで、落ち込んでると言う風に受け取ってしまったんだろうな(この夫婦には一人子どもがいたから正確には「二児の母になると言う夢」だけど)

でも、そうじゃなくて、てかそれもあるかもしれないけど、奥さんは自分のお腹に宿した子どもを守りきることが出来なかった、自分のせいで死なせてしまったと言う、赤ちゃんに対して申し訳ないという気持ちで悲しんでいた・・・

旦那さんは奥さんの悲しみの原因がどこにあるのかをよく把握してなかったのだ。

自分が「この人はこういうことで悲しんでいるにちがいない」と思って言葉をかけても、その見当が外れていたなら、相手をひどく傷つけることになってしまう。

そして、その相手は、その人に悪気が無いことがわかっているから、その言葉をかけられて自分がどう思ったかをなかなか伝えることが出来ない・・・

当たり前と言われりゃそれまでだが、人を元気付けるのはなかなか容易ではないな・・・

それが、命であるとか、体のことであるとなると尚更ね・・・

てか、この場合、元気付けると言う行為自体が間違いなんだよね。多分・・・

この場合、大事なことは、お腹の中の赤ちゃんの死を共に悲しむことだと思う。

やたらと元気出せ元気出せと励ます人よりも、自分と悲しみを共にしようとしている人の方が信頼できるパートナーと言えよう。

この夫婦は最後には悲しみを共有できるパートナーになれたんだけどね☆
ちなみに・・・ほとんどホスピス医、小澤竹俊医師の受け売りであります(笑)

それにしても・・・
女性にとっては妊娠数週間でも「命」で、世の中の男性のほとんどにとって、妊娠後数週間の「それ」は命ではないんだな・・・

今回のふるさと発で「また産めばいいよ」のエピソードを紹介したのは、男女の命に対する意識の差を伝えたかったんだろうな・・・

不育症の女性のための番組と言うよりは、不育症を知らない人たち・・・その中でも女性よりは男性に見てもらいたくて作った番組のように思えた。

2010年9月11日 (土)

85%

昨日、ふるさと発と言う番組を見ていた。

不育症の話題についてやっていた。

不育症と言うのはお腹のなかで胎児が育たない症状のことを言うらしい。

流産を繰りかえす女性はこの疑いが強いと言う。

実は・・・恥ずかしながら、この番組を見るまで不育症と言う言葉を知らなかった。

流産と言うのはそのときそのときのいろんな原因によってそうなるもので、そういう症状によって流産してしまう場合があると言うことをこの番組を見てはじめて知った・・・

無事に着床することができる体であるなら、子どもはお腹の中で育つものだ・・・たまに流産することはあっても、それはストレスとか無理な労働とかなんとかが原因であり、そういうことに気をつけていれば、子どもはいつかは生まれるものだ・・・と思っていたんだけど・・・

無事に着床しても、お腹の中で子どもが育ちにくい「不育症」なんてものがあるのか・・・

で、この不育症と言うのは非常にやっかいなものらしい。

どう厄介かと言うと、まず、その原因が多岐にわたるため、原因を特定するのが難しいこと。

そして、日本にはその専門医が少ないこと。

この二つが原因でなかなか早期発見が難しいらしい。

で、三つ目は・・・不育症の治療には保険が適用されないため、治療費は全額負担をしなければならないこと・・・

子どもを一人産むのに、普通の人よりも数十万円くらいのお金が余計にかかってしまうらしい。

そして・・・心のケアの問題も番組では指摘していた。

自分のせいでお腹の子を死なせてしまったと自分を責めてしまう女性・・・その妻になんとか言葉をかけようにも、なんて声をかけていいのかわからずに立ち尽くしてしまう夫・・・そんな夫には、妻は自分の心の内を打ち明けることが出来ずに、結局一人で抱え込んでしまうと言う悪循環・・・

そうだよなあ・・・僕でもそうなったらなんて言葉をかけていいのかわからない・・・

それでも・・・懸命に子どもを授かろうとする女性達の姿には心を打たれた。

流産を四回も五回も繰り返しても、どんなことをしてでもなんとか子どもを授かろうとする女性の姿に・・・

中でも自分で自分の太ももに血流をよくするための注射を打つ女性の姿に、母親になりたいと言う強い思いを感じた。

そして・・・子どもを無事に産んだ妻と、無事に産まれた子ども達に感謝の気持ちで一杯になった。

で、不育症の治療に保険を適用させようと言う動きがあることも番組では紹介していた。

流産を繰り返す女性が、不育症の治療を受けて無事に子どもを出産する確率は、85%にもなるらしい。
それを伝えるポスターを作成して、あちこちに張り出すらしい。

不育症の専門医は少ないと語ったけど、岡山とか倉敷の病院には、その専門医がいると言う。
・・・どの病院かは忘れたけど・・・(多分国立か、岡大・・・川崎医大とかだと思う・・・)

そういう意味では、岡山は子どもを育みやすい環境にあるのかも・・・

2010年8月24日 (火)

当たり前だけど・・・可愛い♪

最近・・・て言うかけっこう前からだが・・・次男(3ヶ月)が笑うようになった☆

当たり前といわれりゃそれまでだけど、赤ちゃんの笑顔って可愛い♪

ま、僕が抱いたら急に不機嫌になるわけだけど・・・一体なぜ!?

妻からは「抱き方がへたくそ」言われるが・・・

それはさておき、時々テレビで、「虐待をなくすには?」みたいな話題で会談したりしてるけど・・・

虐待をなくすため「だけ」のための対策なんてそこまで効果があるのか?と思う・・・

別にこの問題に詳しいこともなんとも無い僕が語るのもなんだけど・・(笑)

そもそも、虐待の一つの原因として、「人に頼ることはみっともないこと、恥ずかしいこと」と思ってしまってるところにあるのではないだろうか・・・

人に頼って迷惑をかけて恥ずかしい思いをするくらいならいっその事・・・と思ってしまう場合もあると思う・・・

それと、もう一つの価値観として失敗することは恥ずかしいこと、と多くの人が思っている、ということだ。

人の躓きを見て、安心感を得る人も多い。

僕の同級で、高校受験に失敗して、次の年で高校に入った人がいたけど、周りの人は面白半分に、見下したような感じでとやかく言ってたもんな~・・・

大学を浪人する人は多いけど、高校を浪人する人はそんなにはいないからだろうけど・・・

そんなわけで、人の失敗を見て、人が苦しんでる姿を「自分はあいつよりマシだ」と思う人は本当に多い。

多くの人は幸せな人の顔を見るより、不幸な人の顔を見るのが好きなのだ。

だからワイドショーでは「その手」の話題が必要以上に取り上げられたりするのだと思うしな・・・

人の失敗が好きな人、人の陰口を叩くのが好きな人、自分と違う価値観の人は受け入れられない人・・・そんな人が多い中で、自分の心の内を打ち明けられる人を探し出すのは至難の業だ。

それに・・・

昔は、遊びと言えばみんなで鬼ごっことかかくれんぼとかだった。
でも今は幼いうちから一人一台DSを持ってる。

昔はテレビなんか無かったから、皆で紙芝居屋さんの紙芝居を見ていた。
でも今は一部屋に一台テレビがある。

昔は移動といえば徒歩か自転車で、お互いに挨拶を交わしたりしてた。
でも今は車と言う鉄の箱で移動している。

世の中が便利になればなるほど、皆で一つのものを楽しむという機会が減っているように思う。

で、そんな風に一人で生きているような顔して、周りの人がどのような生活をしているのかが気になって仕方が無い・・・そんな人が多い世の中で、子どもを育てていくのは・・・並大抵のことではない気がする。

相談所とかを増やしたり、近所の人が連絡しやすいような環境を作ることに効果は無いとは言わないけど、それだけでは根本的な解決にはなるまい。

ごく当たり前の結論だけど、人と人、お互いとお互いが信頼しあえる世の中にすることが必要だと思う。

虐待をなくすための対策ではなく、人と人との繋がりを強めるための施しをするべき・・・僕はそう思う。

ま、それが難しいから、出来ないから、少しでも出来そうな「虐待をなくすため」の対策ってことになっちゃうんだろうね~

そりゃそうだよな~・・・世の中「シングルマザー」ってだけで白い目で見るような人もけっこういるから・・・団塊の世代以上の人の中には特に・・・あくまで僕の周りでの話だけど。