テレビ・映画 Feed

2010年9月16日 (木)

意味

昨日、MAXがテレビに出ていたが・・・

ちなみにMAX渡辺の事ではなくて四人組のダンスユニットの方ね☆
(MAX渡辺って誰?と言う突っ込みは受け付けない(笑))
彼女らの歌に「トラトラトラ」と言うのがある。

この歌はけっこう流行って、当時の中高生は踊ったりしていたらしいが・・・

その中で、「トラトラトラ」の意味を知っている人がいったいどのくらいいるのだろう?と思うと、少々複雑である。

しかも、彼女らは、第二次世界大戦で壮絶な陸上戦が繰り広げられた、そして、特に今、基地問題で揺れている沖縄出身である。

沖縄出身の彼女らに、このタイトルの歌を歌わせるのには・・・首を傾げてしまう・・・

この言葉の本来の意味を知らない事を罪だとは思わない。
てか、ふつ~に生活していたら、しかも女の子であれば知らないのが当たり前だ。

でも、この歌を作った方はきっとこの言葉の意味を知っているはず。

知っていて沖縄出身の彼女らにこの歌を歌わせるのは・・・ちょっと人間としてどうかな~
と僕は思う。

例えば

あなたのハートを恋の炎で燃やしたい

と言うのを

あなたのハートに焼夷弾を落として燃やしたい

と言ったとしたら多くの人は眉をひそめるのではないだろうか?

この歌のタイトルにはそれと同じような意味合いが感じられる。

ただ、焼夷弾と言う言葉を使っちゃうと逃げ道は無いけど、トラトラトラだといくらでも言い訳は出来るか。

ただの掛け声なんですよと言われたらそれまでだし・・・絶対そうじゃないにしても・・・

ま、この歌が出たのはだいぶ前の話だし、可愛い女の子がセクシーな振り付けで歌ってるんだからそれでいいじゃんと言われたら・・・その通りなんだけどね☆


ちなみに「トラトラトラ」とは「我 真珠湾攻撃に 成功せり」と言う旧日本軍の暗号である。

第二次世界大戦の口火を切ったこの言葉をポップスのタイトルに使うことに僕は疑問を感じるのだ。

でも・・・
この歌のタイトルについて発売当時何も突っ込まれなかったって事は・・・別になんでもないことなのかな・・・気にする方がどうかしてるのかな・・・

ま、僕だってこの言葉の意味を知ってたのはたまたまだしな。

知らなかったら、「あ~~僕もあんな娘に狙い撃ちされたい☆」と思ってたに違いない

2010年8月27日 (金)

余計な飾りは必要ない

昨日の日記で、日テレの番組について頑張りを伝えるのはいいけどそのやり方が気に入らないと語ったが・・・

ではどういう番組ならいいのか?と問われたなら、子ども達が頑張ってる姿を扱ったものであればNHKでやってるカラフル!とか、今やってるか知らないけど、みんないきている、などである。

これらの番組に出てくる子どもたちは、どこにでもいそうな子ども達である。

元気な子どもが主人公の場合もあれば、大人しい子どもが主人公の時もある。
病気や障害を抱えた子どもの頑張りを扱ったものもある。

障害のある子どもばかりを選んだりなんてもちろんしてない。

そして番組の内容と言うのは、子どもが何かやってる映像に、ナレーションが入るだけである。

人気のある芸能人が出てくる事も無いし、演出も無い。

だから、その子ども達の頑張りがストレートに伝わって来る。

人が頑張ってる姿を伝えるには、頑張ってる姿と質のいいナレーション、これだけあれば充分だ。

騒がしい芸能人やくだらない演出、まして手助けまがいの事など無用である。
逆にそういうのがあると見ている方としては興ざめである。

本当に人の心を打つ自信、感動してもらえる自信があるならであるならば、余計な味付けなどしないはずだ。

普段からカラフル!とか、ドキュメント物とか見ている者の一人からしたら、24時間テレビはくだらない演出ばかりが目立って、何を見せたいのか?伝えたいのかがさっぱりわからない。

更に言えば、夏のこの時期にだけ例のTシャツを着て頑張られても、ただのミーハーにしか見えない。

障害を持たれてる方、その方を支えられてる人それこそ24時間、一年中その障害と付き合って生きているのだから・・・

一年のうちにたった二日間だけ障害者の人たちのために頑張ってますよ~と言う顔をされてもなあ・・・

24時間テレビの一番気に入らない点は、障害者のためを思って作られてる番組の筆頭に挙げる人が多い、と言うことだ。

あんなくだらない番組でも、大きな施設を借り切ったり、人気の芸能人を起用したりして飾り立てれば、素晴らしいものに見えてしまうものなのだろうか?

ま~多くの人は、一般の人が頑張ってる姿よりも、芸能人が涙する姿を見て喜んでるんじゃないかな~・・・憶測だけど・・・

24時間マラソンにしてもなんにしても、あの番組は、芸能人や、日テレの好感度を上げるためのものにしか見えない。

「障害を持った子どもが頑張ってる姿」ばかりを扱いたがる24時間テレビと、「子どもが頑張ってる姿」をそのまま伝えているカラフル!・・・比べること自体が愚かだな・・・

2010年8月26日 (木)

親切にするということ

親切と言うのは、困ってる人がいたら手を貸してあげることであり、見返りを求めない、と言うのが基本である。

見返りを求めた時点で、それはもはや「親切」では無く、「善意の押し売り」である。

時々、僕の周りで、車がすれ違えない狭い道などで、ちょっと路肩の広いところなどで止まって待ってあげた時に、挨拶も無しに通り過ぎる人に「挨拶も出来んのか!?」と腹を立てる人がいるが、これは「親切」とは言わない。

お礼を言われようと言われまいと自分が困っている人に手を貸すこと自体に喜びを感じることが出来る事、もっと大げさに言えば、困っている人に手を貸してあげられるだけの「余裕」が、今の自分にあることをありがたいと思えることこそが本当の親切であり、お礼や見返りをしてもらえることに期待してやるのは本当の親切ではない。

それと、親切と言うのは相手のことを対等に見なければならない。

相手を同じ人間として認めたうえで手を貸すことが本当の親切である。

例えば、障害者だからと言って特別扱いするのは親切などでは決して無い。

さらに・・・必要以上の施しも、親切とは言わない。

あなたは障害者なんだから、憧れのスポーツ選手に会わせてあげますよ・・・つーのも親切では無い。

オムニバスドラマ、「鉄道むすめ」にこんなシーンがある。

ある病をかかえた少年がいた。

その少年の夢は、電車の運転手になることだった。

その少年はこれから大きな手術を受けなければならなかったのだが、それが嫌で家出してしまう。

で、この物語の主人公である女性駅員が見つけ出す・・・そして

「電車を運転させてくれたら、手術を受ける」と言う・・・

電車の運転手になると言う夢・・・病気と言う大きな障害・・・そのことを思うと、この駅員さんはなんとかしてあげたいと思って、先輩に相談する。

その先輩の答えは・・・

「お前、本当にそれでいいと思ってるのか?もし仮に、その子に電車を運転させてあげることが出来たとしても、そんなのお前が気持ちいいだけだ。」

病気を持ってるからと言う「理由」で、その子に電車を運転させてあげたとしたら、その子の夢はそこで終わってしまう。

そうじゃなくて、電車の運転をしたいのなら、努力して勉強して、運転手にならなければいけないこと、そのためには手術を受けて、病気を克服すること、そのことをその子に伝えることが、本当にその子のためになることなんじゃないのか?

というものだった。

人の笑顔を見るのは確かに気持ちのいいことだ。

でも、施した者が気持ちいいだけの施しは、ただの自己満足に過ぎない。

本当に相手にとってためになることとは何か?を考え、実行するのが本当の親切である。

24時間テレビが、障害者のためになってない・・・と言うつもりは無い。

憧れのスポーツ選手やタレントと会えて、それを胸に強く前に歩き出せる子もそりゃいるだろう。

でも・・・そのスポーツ選手やタレントと会ってみたい!と思う人は数多くいる。

じゃあどうして、その子たち「だけ」が、彼らと触れ合うことが出来るのか?

その理由の一つに「障害があるから」と言うのがあるのであれば、それはやはり親切では無いと思う。

まとめとすると、24時間テレビが障害者のためになっているかどうかは置いといて、親切の・・・言い換えればチャリティの要素はかなり希薄だと思う。

ギャラと言う「見返り」、「障害者だから」と言う特別扱い、あまりにも過剰な施し・・・

そんなに嫌なら見なきゃいい、と言われそうだが、街に出て買い物なんかに行くとかなりの確率であの黄色のTシャツを持った連中を見かけるのでイライラするのだ・・・ただでさえ暑いのに・・・

だからこうして日記で毒を吐いてみました。

それにしても、日テレっつーのは、見た目同情を買えそうなものはなんでも大げさにはやし立てるよな・・・

「はじめてのお使い」では、まだ一人で電車やバスに乗れる年齢に達してない子を一人で電車やバスに乗せたり、「志村動物園」では、電車には動物を連れては乗れないのに、ダイゴが子猿を連れて電車に乗ってたり・・・組織の大きさを使ってそういうことをするのは、はっきり言っていやらしい。

あんな小さな子ども電車に乗ってお使いに行く姿を見せればより感動的に見えるだろうし、子猿にしてもまた同様・・・か・・・

で、24時間テレビでは、障害を持ってる人たちをやたらもてはやすと・・・

可愛い姿、頑張ってる姿を放映することが悪いことだと言うつもりは毛頭ない。

ただ、やり方が気に入らない。

2010年8月21日 (土)

出演理由が「それ」ではね・・・

いきなりきっつい内容ですが・・・
自分の好きなことで人を感動させることが出来る人ってそんなにはいない。
プロ野球の試合やオリンピック、サッカーのワールドカップなんかはテレビで放送されるが、小学生の運動会とか試合なんて放送されることはまず無い。
まあ、全国大会なんかだと放送されたりもするが・・・それは置いといて・・・
何が言いたいかと言うと、スポーツでテレビに出る人と言うのは人から「すごい!」と思われる
だけのことが出来る人たちだと言うことだ。・・・基本的には・・・ね。
そこらへんの小学生が水泳してるのを放送したって、視聴率なんか取れまい。
それを見る人と言うのは、多分その子の親とか親族とか友達とその家族くらいだろう。
しかし、24時間テレビではそれをやる。
どこにでもいる小学生が水泳とかなんとかをやってるところをテレビで放送してる。
その小学生が他の子と違うところがあるとすれば、それは・・・「障害」があると言うことだ。
障害の無い小学生が泳いでるところは「絵」にならないけど、「障害」を持ってる小学生が泳いでるところは「絵」になる・・・「感動」してもらえる・・・多分テレビ局が考えてるところはそんなとこだろう。
つまり、考え方としては、「障害があるのは特別なこと」と考えているわけだ。
言い方を変えれば「普通」の子では無い・・・・・・これって、思いっきり差別のような気がする・・・
僕の子どもは障害は無いから、障害者の親の気持ちなんて僕にはわからない。
だから憶測でしか語れないけど、もし、僕の子どもに障害があって、24時間テレビの出演依頼が来たとしたら、「ふざけんな!!」と思うことだろう。
あんた方はウチの子に「障害」があるからテレビに出させようとしているのか?
その障害を見世物にして、「感動」を呼ぼうとしているのか?「同情」を誘おうとしてるのか?
テレビに出演する理由が「障害があるから」では、はっきり言って惨めな気持ちになるだけだ。
24時間テレビの一番気に入らない点は、障害者と健常者の間に、あからさまにラインを引くところにある。
親からしたらね、自分の子どもが一生懸命何かをやる姿と言うのは感動するものなんだよ。
障害を持っていようと持っていまいとね。
障害を持ってる子が頑張ってる姿の方が、障害を持ってない子が頑張ってる姿よりも感動的、なんてことは決して無いんだよ。
それなのに、障害があってもこんなに頑張ってます!と大げさにアピールされると、差別してるようにしか見えない・・・
もう一度言うが、障害があるからと言う理由でテレビに出れても、嬉しいどころか、差別されてるんだな・・・と思うだけだ。
以上、一人の父親としての意見でした。
余談だが、昨日・・・
「あ~~~ポリアンナ物語で、トムじいさんの息子の。麦わら帽子かぶったオレンジ色の髪の色黒の若者の名前なんだったっけな~!?」
と言うことが急に頭をよぎり、いくら思い出そうとしても思い出せなかった・・・
ネットで調べるとすぐわかるのだが、それで思い出すのもなんか悔しいので、今日までずっと考えていたら、仕事中に
「あ☆ティモシーだ☆」
と急に思い出すことが出来た☆(真面目に仕事しろ!)
で、今は、
「エンタの神様にけっこう前に出てた、マジシャンみたいなかっこうして『想像してください』とか言ってた奴誰だっけな!?」
と言うことが思い出せない・・・ちなみにこちらは一週間くらい思い出せないでいる・・・ま、どうでもいい事っちゃどうでもいいことだけど・・・