妊娠数週間の「それ」
しつこくふるさと発について書いてるが・・・
ま、昨日に引き続き番組見感想をだらだら書いただけなので読むなら暇な人だけにしてください(笑)
これ昨日書こうと思ってやめたネタなんだが・・・
昨日ふるさと発の再放送見ていてなんとな~く気が変わった(笑)
その、不育症の話の中で、ある夫婦のあるエピソードが紹介されていた。
ご主人は、奥さんを元気付けようとして、奥さんが流産をするたびにある言葉をかけていた。
流産を四回繰り返してしまった時、ついに奥さんはその言葉に怒って自分の思いを爆発させる。
そのことによって、二人で命の大切さについて考えるようになり、二人共に理解しあえて、子どもも無事出産できてめでたしめでたしという話なのだが・・・
その、奥さんのお怒りを買った言葉と言うのは
「また産めばいいよ」
と言う言葉だった。
時間的制約もあったと思うだろうから、番組の中ではあんまりこの言葉について深くは突っ込まれてなかったが・・・
昨日、妻がもし流産を繰り返していたなら、僕でもなんて言葉をかけていいのかわからない、と語った。
その僕でも・・・あんまりな言い方だと思った・・・ま~だから番組で紹介したんだろうけど。
多分、旦那さんの感覚としては、流産すると言うのは、例えば試合に負けた人に対して「また次、頑張ればいいよ。」と言う風な意味でかけた言葉だと思うんだよね・・・
でも、番組内でその奥さんもおっしゃられてたように、流産すると言うことは、「命」が一つ失われると言うことなんだよね。
出産する側の奥さんには「次」の出産の機会があるけど、流産してしまった子どもは、二度と息を吹き返すことは無い・・・
この旦那さんは、なんていうのか、自分の奥さんが母親になると言う自分の「夢」をかなえることが出来なかったから悲しんで、落ち込んでると言う風に受け取ってしまったんだろうな(この夫婦には一人子どもがいたから正確には「二児の母になると言う夢」だけど)
でも、そうじゃなくて、てかそれもあるかもしれないけど、奥さんは自分のお腹に宿した子どもを守りきることが出来なかった、自分のせいで死なせてしまったと言う、赤ちゃんに対して申し訳ないという気持ちで悲しんでいた・・・
旦那さんは奥さんの悲しみの原因がどこにあるのかをよく把握してなかったのだ。
自分が「この人はこういうことで悲しんでいるにちがいない」と思って言葉をかけても、その見当が外れていたなら、相手をひどく傷つけることになってしまう。
そして、その相手は、その人に悪気が無いことがわかっているから、その言葉をかけられて自分がどう思ったかをなかなか伝えることが出来ない・・・
当たり前と言われりゃそれまでだが、人を元気付けるのはなかなか容易ではないな・・・
それが、命であるとか、体のことであるとなると尚更ね・・・
てか、この場合、元気付けると言う行為自体が間違いなんだよね。多分・・・
この場合、大事なことは、お腹の中の赤ちゃんの死を共に悲しむことだと思う。
やたらと元気出せ元気出せと励ます人よりも、自分と悲しみを共にしようとしている人の方が信頼できるパートナーと言えよう。
この夫婦は最後には悲しみを共有できるパートナーになれたんだけどね☆
ちなみに・・・ほとんどホスピス医、小澤竹俊医師の受け売りであります(笑)
それにしても・・・
女性にとっては妊娠数週間でも「命」で、世の中の男性のほとんどにとって、妊娠後数週間の「それ」は命ではないんだな・・・
今回のふるさと発で「また産めばいいよ」のエピソードを紹介したのは、男女の命に対する意識の差を伝えたかったんだろうな・・・
不育症の女性のための番組と言うよりは、不育症を知らない人たち・・・その中でも女性よりは男性に見てもらいたくて作った番組のように思えた。
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