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2010年9月22日 (水)

誰の胸の中にも・・・

いつか見たなんかの番組と、小澤竹俊医師の受け売りだが・・・

目の前の赤ちゃんの死は、新しい家族を迎え入れる日を楽しみにしていた人たちにとっては、相当なショックに違いない。
まるで天国から地獄に突き落とされたような気持ちになるのではないだろうか?

で・・・この目の前の「死」を、受け入れられる人と、受け入れられない人とがいるらしい。

受け入れられない人の中には、亡くなった赤ちゃんの顔をそれっきり見ることさえないそうだ。

申し訳なくて顔向けが出来ないと言う人もいれば、この子の事は、もう無かった事にしたい・・・そう思うお母さんはけっこうおられるそうだ。

でも、長い間お腹の中で命を育んだ記憶、産まれる日を楽しみにしていた記憶はとても無かった事に出来ものではない。

この場合・・・いつまでもこの事を引きずる人が多いそうだ。

それよりも、亡くなった自分の赤ちゃんをきちんと見て、目の前で起こった事を受け入れる事、一度自分の中できちんと区切りを付けた方が後悔は少ないと言う・・・それによって、一歩前に踏み出せるのだと・・・

赤ちゃんの顔をきちんと見てあげることは何より赤ちゃんのためでもある。

と言うわけで、ここで、小澤竹俊医師が言っていた悲しみを乗り越える四つのステップを紹介しよう。

一つ目は、目の前の現実を受け入れること。

二つ目は、悲しい気持ちを押さえ込むのではなくて、自分の悲しいと思う気持ちを素直に表すこと。

三つ目は、事が起こった後の環境に適応すること。
例えば、自分の大事な人が死んでしまった場合には、その大事な人がいない環境に適応すること

四つ目は、その出来事を苦しみなく思い出せるようになること。

大事な人を亡くした場合に、その人のことを思い出して、また悲しい気持ちになるようでは、まだ悲しみを乗り越えたとは言えないし、過去の失敗を思い出して、「あの時ああしていれば・・・」と言う悔恨の気持ちが残っているうちはまだ乗り越えたとは言えない。

例えば、服を買い物に行った時に、ふと「あの人がここにいたら、どれがいいって言うかしらん♪」とか「あの失敗があったから、今の自分があるんだ」と思えるようになって、初めて乗り越えたと言えるのだ。

で、赤ちゃんを亡くしたお母さんの例を二つ紹介した。

自分の赤ちゃんの顔を見る勇気のなかった人にはいつまでもひきずる人が多く、自分の赤ちゃんと向き合えた人は、きちんと区切りをつけることが出来ると語った。

・・・赤ちゃんの顔を見る勇気のなかった人は、目の前の現実を受け入れると言う一番最初のステップで躓いてることになるんだよな・・・

でも・・・その現実を受け入れるには大変なエネルギーがいると思う。
受け入れられない人がいても・・・無理の無いことだと思う・・・

現実を受け入れるのは・・・時としてものすごく勇気のいることなのだ。
特に、大事な何かを失ったという現実を受け入れるのにはね。

大阪の検事さんが逮捕されたニュースが世間をにぎわしてる。

前代未聞のことに、呆れたり、憤りを感じる人も多い。

確かに・・・あの厚生労働省の局長さんの気持ちを考えれば、彼のしたことは許しがたいものではある。

でも・・・自分のしでかしたことが大きい事であればあるほど、それを認めるのには大きな勇気が必要になってくる。
そして・・・無かったことにできるものなら、無かったものにしたいと思うのは、ある意味人間としたら当然の心理ではないだろうか?

手柄を立てたい、あるいは、自分の失敗を消し去りたいと言う思いは誰の胸にもあるものだと思う。

彼には・・・ほんの少し前の自分と、きちんと向き合う勇気が足りなかったんだろうな・・・

それと、もう一つ足りなかったものがあるとすれば、人を思いやる心だ。

自分のことしか考えられなくなるから、犯罪を犯す、と誰か言ってたけど、まさにその通りだと思う。

例えば、電車の中で、人の財布を盗もうとしたとしよう。

ここで、人のことを何も考えられない人なら躊躇無く盗むだろう。

でも、多くの人は、そりゃ警察に捕まったら嫌だなと言う気持ちもあるかも知れないが、「財布が無くなったら、この人はきっとすごく困るだろうな」と言う思いも働くはずだ。
それを考えたら、とても人の財布を盗むなんて出来るものではない。

この検事さんも、自分のしたことで、この局長さんがどうなるか?と言う思いやりの気持ちを持つことが出来なかったんだろうな・・・

自分と向き合う勇気、人を思いやる気持ちが無いと、人はとんでも無いことをしでかしてしまうものなんだな・・・

マスコミも世間の多くの人も彼を厳しく責め立てることだろう。

でも、本当の意味で彼のことをとやかく言えるほど、僕たちはいつも心の中に勇気と思いやりを持てているだろうか?

例えば、普段は安全運転を心がけていても、ちょっと時間に余裕がなくなると乱暴な運転になって周りの人を危険な目に遭わせたり、一旦停止を無視して歩行者をはねそうになったり、電車の中の優先座席に悠々と座ったり・・・

それに・・・自分の過去を振り返って、自分のやってしまった全ての失敗に対して、いつも真摯に反省してきたかと言えば・・・そうでもない人も多いんじゃないか?

あの検事を責め立てるのもいいけど、人間の心ってのは弱いもので、その弱さは誰の心の中にでもあると言うことは忘れないようにしたい。

僕がいつも失敗だらけで、その上それと向き合う勇気を持ってないからそう思うだけかも知れないけど。

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